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「日本一ウマイ~」の表示はどこまでOK?! | Excite エキサイト
ウチの近所には「日本で二番目に上手い」床屋があります。しかもカットが上手いのではなく、サービスで行う「耳掃除」が。してもらいたい・・・・・ #
by gray-hound
| 2006-09-28 18:25
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by gray-hound
| 2006-09-26 23:49
死刑判決 女児誘拐殺人
死刑以上の刑罰を考え出すことは、人類には不可能なのだろうか? 恐らくこの小林某、自らに下された判決に対して恐れおののくとか泣き叫んで命乞いするとか、そういった「人間らしい」反応すら示すことはないのでしょう。 そんな五分の魂すら持ち合わせない生き物の呼吸が停止したところで、司法上の結末以外に一体何が終わりを迎えるというのだろうか? 小林某の自らの欲望を満たした上での死と、その被害者である少女の死、生体活動の停止という意味では同じではあるが、人間として死を迎えさせていいはずのない前者には、その尊厳からすべて剥奪した最期を与えるべき。 願わくば、地獄が本当に存在することを。 以前書いた記事; わたくしは死刑容認派です。その立場を明らかにしつつ・・・・ 調査を始めた時点では56%、今は81%。50年を経て、殆どの人が死刑制度に対して「是」の考えを持つに至ったわけです。 調査のタイミングが人権派・死刑反対派には悪いものだったのかもしれないけれど、積極的賛成者も消極的容認派も、ここ何年かの犯罪性向から、その割合が増加することは当然のことと捉えられます。 反対派の理由は「冤罪」「犯罪者の人権」あたりでしょうが、「冤罪」については死刑制度が悪いのではなく、その濡れ衣を被せたままの捜査のほうの問題だし、「人権」については今更言うまでも無く他者の生存権を犯した者にそれを主張する権利などありません。 法学、特に刑法学には【応報刑主義】と【教育刑主義】という考え方があって、基本的にはだいたい各国ともその考え方に基づいて裁判所が判断した罰則を犯罪者に課しています。 ひとつの判決に対して、【応報刑】の側面は「これだけやったんだからこれだけ入ってろ」、【教育刑】のそれは「入ってる間にこうなりなさい。その為にあなたを入れるのです」ってな感じでしょうか。 【応報刑】では、犯罪者の人権に様々な分野に於いて制限を加える判断を行い、【教育刑】では、その犯罪者の更正する「機会を得る権利」を主張しているわけです。 ただあくまで「機会を得る権利」を与えるのであって、更正すること自体は権利ではなく「義務」であり、またさせる側もさせなければならない「義務」背負います。 そして【極刑】が相応となる判断は、【教育刑】で想定されるであろう更正なり贖罪効果が、その犯罪者が犯した行為によってもたらされた社会的・物理的・精神的マイナス要素を埋め合わせるに対し著しく及ばない、俗な言葉で言えば「チャンスをあげてもいいけどよ~、でも生きてたって、お前は許されることはないし、更正したって誰もそれを認めてくれる人は現れないよ。あんたの親族以外に一人でもそんな奇特な人が現れるなら考えてやってもいいけどさ。そのくらいのことをやったんだよ!だから死ね」です・・・言葉使い悪くてスミマセン。 殺人以外で死刑になった犯罪者が戦後の日本にいるのかどうかは知らないけれど、基本中の基本である「生存権」を惨たらしく奪われた被害者とその家族にとって、この【応報】は当然中の当然でしょう。 捕まって、謝罪の言葉を述べるくらいしかもう何もプラスの行いが出来なくなった凶悪犯罪者側からすれば、最後の切り札が「自分の命」。 それを以って落とし前を付けるしか、他に方法は無い。 でもですね、この落とし前は犯罪者にとっての落とし前なんですよね。決して残された家族や被害者にとって、その汚れた命と引き換えに失われたものが蘇るわけではない、ある意味非常に「犯罪者にとって都合の良い」もの、なんじゃないかなぁ。 たとえ「死を以って償います。これでご勘弁を」って言われても、勘弁できるわけ無いでしょ。「勝手にそれで償ってる気になってんじゃねー」ってなもんじゃないんですか?執行の直前にはお坊さんや看守に優しい言葉なんて掛けて貰っちゃったりして、『お前が殺したウチの旦那に、お前が浴びせた言葉は「殺してやる」だっただろ!』にならないかな? 要するに、死を以っても償うことなんて出来ないってこと。それで終わりにならないんだから。 だったら殺さなければいい。死刑にしなければいい。 身勝手に自身の感情を叩き付け、惨たらしく他人の命に刃を突き立てる輩には、死刑なんて都合が良すぎる!甘すぎる! 償えない罪を犯したのならば償う必要なし。 ただ貶められ、人間としての尊厳を剥奪され、糞の中で息だけしてろ。死ぬより余程辛いぞ。死にたくなるかもな。だから、ロープは用意しといてやる。でもそれを吊るす場所は無いぞ。 死にたいのに死ねない、死ぬための道具はそこにあるのにそれも使えない。 お前の殺した子供はな、生きたくても生きられなくなっちまったんだよ、楽しく遊ぶための道具を使えなくなっちまったんだよ、ランドセルの中の道具で友達と一緒に勉強できなくなっちまったんだよ! 大阪・池田小の宅間某のように、「とっとと死刑にしやがれ!」なんて言い放っちゃう奴に望み通りとっとと死を与えるなんてもっての外。あんなんじゃ家族のほうが死ぬより辛い。奈良の小林某も同じ。 ・・・っていう刑罰を、死刑と同等概念として設定すること、そして【極刑】はこの二つを指すこと、さらにそれを遺族に選択させること(これは逆に酷かな?)では如何でしょう? 従って「仮釈無しの終身刑創設」または「有期刑上限撤廃」は、必要不可欠です。 何で無期喰らってるのに15年で仮釈で出てきちゃうの?18年なら6年程度からその可能性があるのは何故?この辺の刑期は大概殺っちゃってるんだから、そんな年月じゃ被害者家族も健在でまったく風化してないでしょ。死刑とその次が開きすぎてんだよ。 反対派の人達に言いたい! あなた方の言いたいことは理解は出来る。もちろん死刑になる人なんていないほうがいい。 何故ならそれだけの応報を必要とする犯罪が起きなければ、処する必要が無いのだから。 ただ、死刑は「結果」です。 その「結果」をもたらすものが「犯罪」で、その犯罪には「動機」があり、その動機を心中に持つに至った原因もあるはずです。 犯罪者の人権云々より、犯罪者にならないことのほうが余程大事で、その視点のない単純擁護は「犯罪犯しても大丈夫!あとは俺たちが何とかしてやるから」みたいな、犯罪奨励とも感じられます。 と、わたくしは思うのでございます。 #
by gray-hound
| 2006-09-26 22:00
甲子園決勝
早稲田は優勝候補の横浜を破った大阪桐蔭を破って、それ以外の試合も「完勝」。駒沢は苦戦しながら(不祥事も含めて)、2連覇の底力で勝ち上がってきた。 37年ぶりの決勝引き分け再試合、どちらかが打ち込まれてワンサイドゲームになるかなと思っていたけれど、この試合も最後まで盛り上がり、わたくしが今まで見た甲子園の最高の名勝負は、星陵VS箕島(S54年)なのだけれど、決勝というシチュエーションも加味して、それに勝るとも劣らない、近年稀に見る歴史的と言っても過言ではない2日間でした。 プロ野球の(巨人の?)人気凋落が著しいという理由は、純粋なる名勝負はイベント性を持った状況の中でしか起こりえないということの表れでしょうか。 140試合の長丁場では、今そこにある勝負にのみ全力を尽くすわけには行かず(口では言うけれど)、見るほうもそこまでの集中力を持って見ることは出来ない。 再びこれほどの2日間が有るかどうかは分からないけれど、年俸がどうとか落ち目の選手でも格が有るからとか、球団経営がどうとか、そういった大人の事情を考えたりすること無く、両エースの力投と堅い守備、1点差まで詰め寄るホームラン等、久しぶりに「野球って面白かったんだよなぁ」と思わせてくれた両チームに、拍手喝采です! #
by gray-hound
| 2006-08-21 20:51
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